この付近一帯は礒野(いその)と呼ばれ、静御前の母である「礒野禅尼(いそのぜんに)」のふるさとと 言い伝えられています。
京で白拍子の名手であった静御前は、源義経に見初められますが、やがて義経は兄の源頼朝に追われる身となります。静御前は捕らえられ鎌倉に送られますが、夫を想う見事な舞をさしたため許されて京に戻り、その後母のいる故郷大和の礒野村に帰りました。
春日町の笠神の森にある明神さまに病気平癒を祈り、帰る途中の一本の松の木に衣を掛けたといわれる松が、県立高田高校にありました。(現在は歌碑があります)
静御前の墓はいまの礒野の東北、字藤木にその塚跡があり、病気平癒を祈った明神さんは竜王宮の境内に移され祀られています。
静御前にゆかりある龍王宮には毎年12月に白拍子舞が奉納されます。